はじめに
何をするにも物ごとにはコツがいる。長い間できなかった事も、「あっ、こうすればできるんだ」とコツをつかむと、急にできるようになるものである。スキーにしろ何にしろ、上達の仕方というのは、まず目標とする『明確な動作の手順』を頭の中にインプットし、次にそれが実際にできるようになるまで繰り返し練習することで上達していく。
しかし、その『動作の手順が』不明確な場合、何度やってもうまくできないのである。どこか欠如している動作がある訳で、多くの中級スキーヤーが完全なパラレルターンを会得できず、万年シュテムターンに陥っているのも重要な動作が1つ欠如しているからである。『不明確な動作の手順』が『明確な動作の手順』になった時、そこから急激な上達が始まるのである。コツとはこの『明確な動作の手順』のことだと私は考えている。
私は京都生まれの京都育ち、雪とはほとんど無縁の世界で生まれ育った。そんな私がスキーを始めたのは中学を卒業した春休みからだった。それも、友達や双子の弟がスキーに行くと言うので、しぶしぶ便乗した口だった。
ところがその中で一番スキーにのめり込んだのが私で、大学時代からは競技スキーを始め、社会人になってから何を血迷ったか突然北海道へ行くと言い出し、1年で会社を辞めて単身北海道へ渡ることになったのだ。
北海道では残雪の手稲山へ1カ月間一人で山ごもりをしたり、ニセコで居候したりしながら4年間競技スキーをやり、その後、岩手県の安比高原スキー場へ渡ってインストラクターとなり、4年間、一般スキーヤーやJrチームの指導などにあたった。その間、ニュージランドでスキーインストラクターを1シーズンやったこともある。
こうしたスキー経歴の中で、私は独自のコツをいろいろとつかんできた。それは私にとっては、一つ一つがまさに新しい発見であった。もちろん、それは、上手なスキーヤーや一流選手ならすでに体得している技術である。しかし、それを私にハッキリわかるようには誰も伝えてくれなかった。伝えたくてもうまく伝えられないのだ。体得しているものを言葉で表現することがいかに難しいか、ということである。
例えば、「もっと踏み込め」とか「もっと乗り込め」、「板を滑らせろ」、「板を下に向けろ」などと、いささか禅問答のような表現になりがちで、教わる方は、『エッ、もうスキーに乗っているのにもっと乗り込めとは、これいかに?』、『私の板は一応滑っているんだけどなぁ…、板を下に向ければ暴走してしまうんだけど…』などと考え込んでしまう結果となるのである。
私はけっしてメチャメチャうまい一流スキーヤーでは無いが、一応、SAJ(全日本スキー連盟)の正指導員の肩書は持っている。いや、正確に言うと肩書はあった、であり、その肩書も維持するには毎年少なからぬお金を払い続けねばならないので、滞納を続けるうちに自然脱会したというのが本当のところなのだ。
私はスキーを始めた年齢が遅かったこともあって、スキー技術を体得するというよりも、非常に客観的、科学的にスキー技術をとらえようとしてきた。それだけに、私が発見したテクニック(コツ)は、ハッキリと言葉で伝えることができる。この書は、いわば、私が体得した"コツ"の集大成である。
ただし、人から教えてもらったテクニックでも、私が経験した中で重要だと思えるものは、本書でも改めて紹介している。
一般スキーヤーや草レーサーにとっては、目からウロコ状態の発見を本書から得られるであろうと期待している。また一流選手を目指す人達にも、新しいステップへ移るためのヒントになれば幸いだと考えている。
最後に、最近のスキー界の傾向について意見を述べておきたい。
まず、サイドカーブの強い、短いスキー板『カービングスキー』の出現によって、「スキーの基本は変わった」というような風潮がある。しかし、その風潮に乗るのは、中級以下のスキーヤーにとっては混乱の元である。結論を先に言うと、「そんなに簡単にスキーの基本は変わらない」というのが私の考えである。
そもそも、日本のスキー理論を先導する某スキー雑誌は、時のトップレーサーの技術やそのコーチの理論を基に"新しい"スキー理論を常に作り続けている、いや、作り続けているように感じられる。雑誌を売り続けていく上で大事なことだと思うが、それが常に正しいとは限らない。トップが入れ替われば、また理論も入れ替わるという始末だ。そして、どちらが先かは分らないが、同じように全日本スキー連盟(SAJ)のスキー理論も少しずつ変わっているようだ。
しかし、基本と言われる根本的なテクニックは、実際そう簡単に変わらないものだ。変わるとすれば、もっと枝葉の技術であって、「基本」とまで呼ばれる根本的な技術は変わるものではない。その証拠に、カービングスキーに履き替えても、普通のスキーヤーなら従来と同じように滑る事ができる。そして、自分にピッタリ合ったスキー板ならまさに自由自在に滑れるが、それはカービングスキーに限ったことでなく、従来のスキー板でもそういう板に巡り会えば、同様に滑れたものだ。
基本が変わったのではなく、基本を充分に理解できていなかった人が、それらを「もう古い」というような言葉で片付けてしまおうとしているのではないか?
某スキー雑誌を見ていると、基本中の基本といえる「外足荷重」、今やこれさえも「違う」といい始めている。では、なぜ「外足荷重」というテクニックが基本といわれるほど今まで重要視されてきたのか? その新しい考えを提唱している人はちゃんと説明できるのだろうか?
もちろん上級者ともなれば「内足スキー」1本で滑る事もできる。もう古いと言われるかもしれないが、かの天才レーサー・ステンマルクは、誰よりも早いタイミングで内スキーに乗り移り、次のターンを始動していた。しかし、それは誰よりも早く、確実に、外スキー1本で前のターンを仕上げていたからである。
しかし、今の「両足荷重」や「内スキー」を使う理論は、内スキーを使ってターンを仕上げる事さえ提唱している。私の見解からすれば、これは大きな間違いだと、あえて言っておこう。そして、こういうスキー操作は上級者なら可能だが、中級以下のスキーヤーには"変な癖がついてしまう"、警戒すべきテクニックだと言っておこう。
また、全日本スキー連盟の場合は、その教程に見られるように、ボーゲン(シュテームターン)からパラレルターンへ進む過程で、決定的な技術の違いをきちんと説明できていない。ボーゲンから少しずつスキーを平行にしていくだけでパラレルターンができるなら、多くの中級スキーヤーは苦労しないだろう。そのハッキリしない点が、SAJスキー理論の一番の弱点ではないだろうか?
と、とりあえず言いたいことを言ってしまったが、いずれにせよ、多くのスキーヤーがスキー上達の楽しみを味わい、パラレルターン、ウェーデルン、カービングターンなどのテクニックをマスターして、自由自在に雪の斜面を駆け抜ける喜びを満喫していただけることを願っている。
2006年12月20日 濱田篤重